青城SS | ナノ
「再就職先、決まったんだよね」
「へー! おめでとう! じゃー今日は朝まで飲みますか!」

いやー、めでてーめでてー。飲むしかないじゃん。すでに私も貴大もほろ酔い状態であるが、お祝いだもの、酒を飲まねばならぬ。
私は自分の部屋の冷蔵庫に保管してあるビール二本を左手の指に挟み、右手で戸棚の奥にしまい込んでいた高級あたりめを持って貴大へと差し出した。

「遠慮するでない」
「あー、おう」
「なに? 私の酒が飲めないっての?」
「いや、そーじゃなくて」
「まさか! ……貴大、あんた抜け目ないね」

そうか、私が先週同僚から出張のお土産にもらった美味しいと有名な日本酒の存在に気づいていたか。くそう。一人でこっそり飲もうと思ってたのに。いやでもひとりの男の門出だ。仕方ない。

「しょうがないな、欲しがりさんめ」

冷蔵庫から日本酒を取り出し、渋々と貴大へと差し出す。

「仕方ないから二人で飲もう」

貴大はしばし日本酒の瓶を眺めて、やけに神妙な面持ちでビールの缶を開けたかと思うと、それを一気に喉奥へと流し込んだ。普段しないような飲み方に呆気にとられていると、空になった缶が卓上に強く打ち付けられ、コンという小気味良い音が室内に響いた。

「職場が神奈川なんだ」

かながわってどこの川? って一回脳内で考えて、ああ、神奈川県ねって正解にたどり着いたところで私もビールを煽った。

「何社か受けてて、そんで、正直ダメ元で受けた本命が、そこで。採用されるなんて思ってなくて、だから、まあ、神奈川っての言ってなかったんだけど」

貴大の言葉がビールの泡みたいにパチパチはじけて、消えていく。

「そこ、社員寮があって。金の節約にそこに入ろうと思ってて、そんで遠距離になるわけで……。ナマエにとって距離が負担になるなら、無理させたくないっつーか。……なんつーか」

パチパチ、パチパチ。ビールを流し込みながら頭の中ではじける言葉を反芻させる。そして空になった缶を卓上へ置く。すると自分で思っていたよりも強くしてしまった動作が、乱暴な音となって返ってきて、貴大が大袈裟に肩をはねあげた。

「つまりは別れたいと?」

困ったように、誤魔化すように笑う。なんだその顔。しばくぞコノヤロウ。

「いや、そういうんじゃなくて。なんだ……その」
「再就職先が決まりました。それが神奈川です? 遠距離になって、それが負担になるなら無理しなくていいです? これって別れ話じゃなかったらなんなの?」
「いや、別れたいわけじゃなくて。……でも俺の想いを押し通すのも違う、気するし」

はっきりしない口調で話す貴大は、なんだか情けない男に見えて、こっちが悲しくなった。

「貴大の想いってなに」
「それは、まあ……。俺は別れたくねぇけど……」
「けど?」
「別れたく、ない……です」

なんだかすっきりしない歯切れの悪いセリフ。私は日本酒の瓶を開けてグラスに注ぎ、透明な液体を一口。

「ああそう。私は別れてもいいけどね」

貴大はこの世の終わりみたいな顔をして被害者ぶる。あらまあ、私の彼氏はずいぶんと悪い男だこと? 先に別れをちらつかせたのは貴大なのに、傷ついたみたいな目でこっちを見るな。

「なんかさ、会社を辞めたときもそうだったけどさ、今回も事後報告じゃん。いいよ? 別に。会社辞めるのも新しい職場を選ぶのも貴大の自由だよ。でもさ、これってさ、貴大の人生に私っていらないんじゃない? てか付属品くらいにしか思ってないでしょ」

どうなのよって問い詰めれば、気まずそうな顔して鼻の先を指でかくだけで、なにも言わない。え、そうなの? 私って付属品だったの?

「ねえ。そこは否定してよ」
「付属品だなんて思ってねぇよ」
「いやいやいやー。その言わされてる感ね」

神妙な面持ちでまた黙り込む。ああ、そう。本当に別れたいのね。そうなのね。

「もーいい。どこにでも行けば? それで私のいないところで私の知らない女と幸せになれば?」

日本酒をグラスなみなみに注ぎ、それを一気に腹の内へ。喉が燃えるみたいに熱くなって、鼻から抜けたアルコールが目に染みた。

「貴大はさ、私と別れる理由がないからずっとなんとなく付き合ってたんでしょ。私はさ、私はさぁ! 貴大がアマゾン川でもナイル川でもミシシッピ川でも、どんだけ遠くに行こうがそれについて行ってもいいくらい、私の人生の準主役は貴大だけどね!」
「え、ついて行くって、え?」

再びグラスへ日本酒を注ぎ、それを飲み干す。身体がかっかして、頭がふわふわしてきた。

「まあ、嘘だけど」
「は?」
「トイレ」
「いや、ここでトイレって」
「トイレ!」
「あ、ハイ」

トイレで考える。東京と神奈川。頑張れば通勤できるかなと。でも時間も金もかかるな。ていうかもう、貴大なんかどうでもいいかな。あーやばい、頭の中ぐるぐるしてきた。ていうか眠い。そうだ、寝よう。そう思い立ってトイレから出て、歯を磨く。そして背中を丸めて座る貴大の横を通りすぎてベッドへとダイブした。

「ナマエ」
「んー?」
「俺、俺さ」
「んー」
「格好つけて別れてもいいみたいな言いかたしたけど、別れたくねえよ」
「あーうんー」
「なあ、すぐじゃなくていい。すぐじゃなくていいから、……ついて来てくれねぇ?」

目を閉じて五秒、夢を見た。貴大と赤レンガ倉庫を歩く夢。同じようなカーキのアウターを着て、同じような黒い帽子をかぶって、同じ白いスニーカーを履いている。あれ? 見覚えある光景だなって思ったら、大学生のときに買ったお揃いの白いスニーカー。一緒にバイト代を貯めて、クリスマスに横浜デートをしたときのことだと思い出した。偶然アウターがかぶって、「おそろっちやん」って、「ならもう帽子もかぶせていこうぜ」って。ノリで現地で帽子を買ったんだっけ。

「ナマエ?」

ベッドの片側が沈む。ああ、もう眠いのに。私は貴大の腕を引っ張ってベッドの中へひきずりこんだ。

「たかひろ」
「うん?」
「うるさい」
「あ、ハイ」
「寝る」
「……わかった」

貴大は私の頭の下に腕を滑り込ませて、背中をゆっくりと撫でた。別れたらこれがなくなるのか。それはなんだか悲しいな。とても、悲しいな。

「貴大」
「ん?」
「どこに行ってもいいよ」
「それは、……俺を見放して言ってんの?」
「どの川に行ってもいいよ」
「え、川限定?」
「ちゃんと、ついて行くから」

だからどこへでも行っちゃえ、ばーか。

いずれ同棲する。

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